Column 5


2011年06月30日(木)
月山  …あぁ、もう一度行きたい。もう一度映画を観たい

 今観たい映画のひとつに、村野鐵太郎監督の『月山』(原作:森敦)がある。
…きっとそれを観た頃と同じ年代にさしかかる生徒と時間を共にしているからなのだろうと思う。当時を反芻(はんすう)することが多い。
 学生時代の後半期に、国道7号線を北上して、秋田・青森を訪れたことがある。 一度きりの短い旅だったが、それだけに印象は深いようだ。日本海側を走る国道7号線を、海沿いに北上した。美しい日本海岸や漁村を堪能しながらひたすら進んで行き、山形県からやがて秋田県に入るだろうあたりだったと思うが、鳥海山が突然にその雄大な姿を現したときの感動を今も忘れることができない。是非ともまた眼にしたい光景だ。
 …大学の後半期は、まるで取り憑かれたように、救いを求めるかのように文学書や思想書も読み耽った。卒業するかしないかの頃になると、それまでの熱っぽい文学・思想・世界観から、静謐な?諦観的な?それへと、次第に嗜好が変わっていったように思う。そのような中で、森敦の作品にも出会い、夢中になった。彼の著作や関連するものは殆ど読んだ。…私の精神的な成熟度も少しずつ増していたのであろう、彼の著作を通し、信仰すること、その重みを、初めて血と肉で感じたように振り返る。
 思想観とか宇宙観の変化という言葉が適切なのかも知れない。そのような自己の変容を、自分なりに理解したい・認めたいという渇望から、卒業後も大学に残らせて頂いたりしながら、しばらくはそれをまとめるなどの日々を送った。ある程度の結論?が得られた頃に、学習塾自営の経験を、高校時代の友人の誘いで得た。( 別の機会に、そこで塾生やその保護者から得た喜びや学ばせて頂いたことのほか、多くのことについて記させて頂きたいと思う。当時の塾生の彼ら彼女らなくしては、これまでの私はないと疑いなく今も思う。) それが大きな転機となり、 30歳を前に教職の道を進んだ。教員業に没入して、10年ほどがたった頃に、機会があって月山や森敦が放浪し他の作品の題材となっている地をいくつか訪れることができた。酒田・鶴岡を巡り、大日坊・注蓮寺へも参拝した。近くの田麦荘という民宿(…確か半村良氏の兄弟が経営されていたはずだが記憶違いかも知れない。)に泊まり、そこで慶応義塾大学を出て鷹匠になられた青年(松原英俊氏である。…ネット上でサイトを見つけて吃驚した。当時は長髪の好青年だった記憶がある。)に出会ったりした。月山については、遠くから眺めただけで、いつか次回ということにした。途方もない大きさをもって鎮座する月山を1~2日の滞在で理解できるはずもなく、また偏狭に理解してしまいたくなかったからである。その様なわけで、麓からその存在を感じるだけだったが、何か心の奥底にしまい込んでしまっていたものが、深いところで揺さぶられるような、実に不思議な旅をしたという印象が、今もありありと心に残っている。 
 その後、月山を訪れることはできていない。そんなこともあり? 今、せめて若き日に夢中になった本などをもう一度読み返してみようと思っている。そしてまた、かつて一度だけ観た-村野鐵太郎監督の『月山』を、無性に観てみたいとも思うのだ。(原作を先に読んでいるとその映画版には失望させられることが多いのだが、この作品は、そのようなことのないものであったとと記憶している。) いろいろとあたってみたが、簡単には観られそうもないし入手もできそうもないので、その思いは募るばかりである。












小説『月山』のあらすじ

鶴岡の住職に紹介状を書いてもらった明は、月山に向かった。その寺は月山の山麓に抱かれた渓谷にあり、その周囲には合掌造りの家が点在し、他所者を寄せつけない寡黙な村人たちが住んでいる。その中で、独人住いの寺番太助は温く明を迎えてくれた。明は、菜を背負い、もう遠い庄内の風物詩になっているハンコタンナの覆面をした若い娘、文子に出会う。明は、この閉じこめられた渓谷の中で、なおも溌刺とした若い生の息吹きに一瞬とまどった。雪は村全体をすっぽりと包み、隣り村まできていたバスも遮断され、村は長い冬篭りに入った。庫裡の二階に泊る明は、古い和紙の祈祷簿を貰い、それを貼り合せて和紙の蚊帳を作りあげ、吹き荒れる風の音を聞きながらその中に寝た。蚊帳の中に、電灯の光がほのかにこもり、それは、乳白色の繭の中に横たわっているようだ。そんな冬の中、村人たちは密造酒を造り、闇の酒買が村を訪れる。数日後、村人たちは寺に集まり、念仏を唱え、やがて酒宴を開いた。明は皆が酔ってくる頃、自分の部屋に戻ったが、蚊帳の中には文子が寝ており、驚いた明は、ソッとその場を離れた。村人たちが帰ると、酒宴に顔を出さなかった太助が、文子の生立ちを語った。文子の母は他所者の後を追って村を出、数年後、村に戻ると彼女を産んで死んだと言う。」「他所者と一緒になって幸せになったものが居るだがや」と太肋は話す。元旦の朝、明と出会った文子は「お前様と一緒にここを出て行ければ幸せだの…」と言う。数日後、村はずれで男女の死体が発見された。他所者の酒買と駆け落ちした加代の二人だ。村はずれに薪を積み上げ、加代の屍を焼く村入たち。その中で、合掌する文子は明に「どうしようもないさけ……」とつぶやく。その日から文子は二度と明の前に姿を現わさなかった。ある日、明は雪の中に燕の屍を見つけた。「おらほうは冬の頂だけど、平野部はもう春だろの……」太助は、強い燕ほど早く奥へと渓谷を上って来るのだと言う。明は僅かにふくらみを見せ始めた木の芽を見つめた。明は月山を下りる決意を固めた。






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