じっくりきちんと伸ばしたい
その「やる気」="studens"を大切に
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で、しっかりとサポートします。
「いかに(真の意味で)濃密に生徒にかかわれるか。」
というが、 Studens Academia の「コーチング」スタンス。
教材・シラバスに頼りすぎず、生徒の習熟・レディネス(次の学習への準備状態)を診て、指導の有り様を変える。それは、学校教育と変わらぬ一斉講義をする形式の塾ではなく、「個別指導」塾だからできる、そして「この生徒を伸ばすために何が今最適か」を研鑽し続けた経験があるからこそできることです。
学習内容の理解、定着・熟成をみるために塾生カルテを、細かく用意させて頂き、豊富な受験指導経験・ケーススタディーを下に、生徒の適性に応じ、その習熟・レディネスの程度を測りながら、タイミングよく今必要な対応を施し、理解力と解答力 = 学力と受験力の伸長・増進を図ります。
「深く学べれば学べるほど、面白さが増し、結果として理解とその定着が深まる」
というのが、塾長の持論。
「学問」は、そして「知ること」は、本来楽しいものなのです。断片的な知識・情報を手に入れることではなく、自分の五感で世界を確かめること
-そのため標本・実験器具・AV(視聴覚)資料の教材・教具を充実させてもいるのが、弊塾の特長でもあります。-
であり、時に「眼からウロコが落ちる」ような体験であり、そのことを通して「生きている」ことを確認し、自分(の世界認識)が成長していることを実感できるワクワクするものなのです。
Studens Academiaでは、塾長がこれまで学んできた学習心理学・認知心理学・教育工学等の知見を下に、各学習項目にまつわるエビソード・こぼれ話あるいは教科目の枠を超えた他の諸知識・学習項目との連関などを適宜紹介・解説しながら、指導します。
< あらゆる学習項目のひとつひとつの知識は、実は根底で地下水脈のように他の学習項目と、そして、他の教科目の知識と繋がっている >ということを、塾生の皆さんには伝えていきたいと思っています。
…その中で、深く知れば知るほど、勉強は楽しくなり、しっかりとした知識となります。結果、暗記の少ない「楽(ラク)勉」であった、そのことを実体験してもらいたいのです。
とある日曜日、模擬試験終了後に通塾生と化石採りへ。いろいろな意味のトレジャーを手にできました。
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「共に学び合う」ということも大切にしながら学習の深化・定着を図っています。
古之学者必有師。師者、所以伝道受業解惑也。人非生而知之者。孰能無惑。
惑而不従師、其為惑也、終不解矣。生乎吾前、其聞道也固先乎吾、吾従而師之。
生乎吾後、其聞道也亦先乎吾、吾従而師之。吾師道也。夫庸知其年之先後生於吾乎。
是故無貴無賎、無長無少、道之所存、師之所存也。 韓愈「師説」
(昔の修学者には必ず師匠がいた。彼らは師匠によって道を伝えられ技能を受け生きることの惑いを解いた。人というものは、生まれながらにしてこのことを知っているわけではない。皆惑いを持っている。
惑いがあるのに師に従わないと、それは最後まで解決しない惑いとなる。だから私より早く生まれた人が、私より先に道を聞いたならば、私はその人に従い、その人を師匠とする。
私より後に生まれた人が、それでも私より先に道を聞いたならば、私はその人に従い、その人を師匠とするであろう。私は道を師匠とするのである。その人が私より先に生まれたか、後で生まれたかは無関係である。
貴賎老幼は、師の資質とは、無関係。師は、道の在るところに居るのである。)
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これはまた、「半学半教」の態度ともいえます。
「半学半教」とは、教える者と学ぶ者の分を定めず、相互に教え合い学び合うしくみをいうもので、弊塾塾長が学ばせて頂いた慶応義塾の精神のひとつです。
現在でも慶應義塾では、教員と塾生の別なく、先輩と後輩の別なく、率直に学び合い、自由闊達に意見を述べ合う気風が尊重されています。それは、学問は上達すればするほどその世界は奥深く、それを究める事は一層難しくなるもので、この学問の完成・成就ということは永遠の課題なのだという、その創設者である福澤諭吉先生が好んで揮毫(きごう)した「愈究而愈遠(いよいよきわめていよいよ遠し)」の思想にもつながるものです。
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きっと塾生は、このような弊塾で過ごす時の中で、
一般的には無味乾燥で辛いものとされる「勉強」と同じ学習項目に触れながらも、
知らず知らずのうちに、学ぶ楽しさ・学問の愉しさ、
そして「知」を大切にしなければならないこと、
まさに「studeo」を感じていくことでしょう。
これが、 Studens Academia の「コーチング」スタイル、そして塾生の学びの姿です。
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